其の万 縄文の神様に会いに行く!元出雲から元伊勢へ


 

今回のアップは

 

2018年9月5日です。

 

💖

 

一連の記事の継続として書いています。

 

順に読まれますことをおすすめしています。

 

 

©capcom U.S.A.
©capcom U.S.A.

 

これはKikiさんのイラストです。

 

 

あれ? リュウさんがふたりいるよ!? これはご先祖さまと子孫のリュウさんですね。

 

 

このように、イラストひとつとってみても「計画通りにすべてが決められていた」ことがわかりますね。

 

 

何度も書かせていただきますが、ストリートファイターシリーズはまぎれもなく日本神界の神々からのメッセージを刻印して宇宙から降ろされた創作物です。

 

 

今回は、前回まで読み解いた「ストⅤゼネラルストーリー」の正統続編にあたる「ストⅢ」のキャラ紹介に進んでまいります。下は「シャドルー研究所キャラ図鑑」より。

 

https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/112577
https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/112577
https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/112577
シャドルー研究所キャラ図鑑

 

 

生きる化石仙人オロ。

 

巨大な岩神通力で動かしてしまう。

  

あまりにも強いため

 

自らの意思で片腕を封印している。

  

130歳を超える。

 

忍者の末裔との噂がある。 

 

すきなものは

 

 

やはり暗号が満載ですね~。これを読み解くと、オロ仙人は磐座(いわくら)をご神体とする縄文神の化身ということです。その証拠に磐座に坐しておられるオロ仙人のイラストがそれを示しています。縄文の神はあまりにも力がありすぎるので封印されてきたのです。

 

ストリートファイターⅢ3rdエンディング
ストリートファイターⅢ3rdエンディング

 

上はストⅢ3rdオロ仙人のエンディングです。リュウさんを弟子にしているようです。

 

 

巨大な岩=磐座を持ち上げるリュウさんは神通力を使っていて、人智を超えた能力が備わっています。リュウさんは新たな次元に移行したということがわかります。

 

2018年7月29日 台風12号
2018年7月29日 台風12号

 

さて、2018年7月29日に左回転で左方向に進むという、前代未聞の逆方向に進行する台風がやってきました。(ちなみに、朝鮮半島に近づいたときには右回転に変化したとのこと)

 

 

このことは、これまでのシステムの反転を示唆する自然現象と読むことができます。

 

 

ちなみに、左回転システムは宇宙に沿った回転方向です。これまでの地球は右回転システムだったために、宇宙に逆らった不調和な世界が何千年間も現象化していたのです。

 

 

この台風が過ぎ去った直後、京都の亀岡にある元出雲「出雲大神宮」にご参拝に行ってきました。下の「るるぶ」は亀岡の出雲大社京都分院でいただいたものです。

 

るるぶ特別編集 
るるぶ特別編集 
出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

元出雲が京都の亀岡にあると知ったのは、リュウと春麗の神結び   其の十(いざ!「神武東征」の古戦場へ!続編)④神武天皇編を書いた後でした。

 

 

出雲大社は島根県出雲市にありますが、一度もご参拝させていただいたことがありませんでした。そんなことで、元出雲 という言葉も知らなかったのです。

 

 

そもそも神社や神様にまったく興味がなかった筆者が、このような一連の記事を書いていること自体が不思議でなりません。

 

 

それもこれも、神様とのご縁によって導いていただいたからなのですねとありがたく思うだけなのです。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

元出雲は709年(約1300年前)に建てられた「丹波国一之宮」ということです。

 

出雲大神宮 弁財天社(筆者撮影)
出雲大神宮 弁財天社(筆者撮影)

 

最初に弁財天(イチキシマヒメ)の神様のお社がありました。とても不思議なのですが、弁財天社の前に立つと急に雨が降ってきたのです。 

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

さっきまで晴れていたのに、みるみるうちに雨雲が太陽をおおって暗くなってきました。弁財天・イチキシマヒメの正体は縄文の女神・瀬織津姫です。瀬織津姫は龍神様ですので雨を降らせることなどたやすいことなのでしょう。この階段を降りたところに社があります。

 

出雲大神宮 弁財天社(筆者撮影)
出雲大神宮 弁財天社(筆者撮影)

 

お社の前に立つと風が強く吹いてきてさらに大粒の雨が降ってきました。わたしは瀬織津姫に歓迎していただいたのだなあ、と思うとうれしくて改めて感謝をお伝えしました。(白い点々は雨粒です)

 

出雲大神宮 弁財天社(筆者撮影)
出雲大神宮 弁財天社(筆者撮影)

 

龍神様のまします池です。ザーッと雨音がしていました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

弁財天社のご参拝を済ませると、いっぺんに雨が止みました。この看板が濡れているさまから、結構な雨が降ったことがわかります。不思議なことに雨雲がさーっと引いていきました。

 

 

それにしても「皇祖より一万年以前」と書かれてあるように、国之常立命さまは天地開闢の神であり、日本の国体の神様です。現在のスメラミコトの系譜よりも古い龍体日本列島の神様ということなのですね。

 

 

ちなみに『日月神示』のあめのひつくの神は国之常立命さまのことなのだそうです。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

これは元祖ゆるキャラ『因幡の白兎』さんです。「しあわせなでうさぎ」ですって。さっそくなでなでしました。

 

 

出雲の神話『因幡の白兎』は慈悲深き大国主とうさぎさんとの物語です。ボカロのKAITOが物語仕立てで歌ってくれています。とてもよくできた作品です。今一度、視聴なさってみられたらいかがでしょうか。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

拝殿の前に立つと、太陽の光がまぶしいくらい晴れてきました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

またまた不思議なことに本殿の前に立つと、ヒノキの香りがしてきました。今度は香りで歓迎してくださったのだなあ、とうれしくて神様に何度も感謝をお伝えしました。大国主の神様はやさしき超イケメン・モテモテの万能の神様。この神様が日本をおつくりになられたのです。

 

 

去年の11月の御神事の際、大国主が日本の現状に怒り心頭に達しておられることを知らされました。アマテラスとのやりとりも知らされました。

 

 

アマテラスはとても気位が高い女神様でした。「わらわが天照大御神じゃ」とおっしゃいましたが、それに対して大国主と国之常立命は大変激しくお怒りになったのです。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

国譲りしたものの、堕落してしまったこの国の有様にもう黙っていられないという大国主と国之常立命のお怒りは相当なものでした。けれどアマテラスはその座を明け渡す意思はないように感じられました。

 

 

他の神々様はアマテラスに「そなたはよく致した」とねぎらいの言葉をかけておられましたが、そのご真意はアマテラスの時代の終焉を示唆していたことがわかりました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

本殿の正面に舞台がありました。ここで巫女さんが神楽舞を御奉納されるのでしょう。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

八雲立つ。空を見上げれば清々しく晴れ渡っていました。後方の山は国之常立命の御神体山です。出雲の神様は、天候を自由自在に操られることを目の当たりにしました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

狛犬さんの後方に見えていた赤い本殿です。雨上がりの緑の中に赤が美しく映えます。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

舟岩。出雲の神で舟岩といえば天の岩舟に乗って生駒山にご降臨したニギハヤヒです。ニギハヤヒは出雲系ですから舟岩を暗号化して祀られているのだと思いました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

ここから先は、森の中に社があります。出雲の神は縄文の神。大自然こそが神。ゆえにすべてが神なのです。

あらゆる自然物に八百万の神が宿っていると思うと、拝殿の前で祈ることだけがすべてではないことを思い知らされます。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

木々に宿る精霊たちは、参拝客をいつも見ているのです。わたしたち人間はつねに見られているのです。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

 

鎮守の森で最初の鳥居です。奥に何かが祀られているようです。

 

出雲大神宮 春日社(筆者撮影)
出雲大神宮 春日社(筆者撮影)

 

国津神のタケミカヅチ(武甕槌命)はアマテラスに命じられて国譲りの交渉の切り札としてはたらかれた神様です。

 

 

また、この神様は雷の神さまであり、地震を制御する神さまであり、武道の神様です。この神様にも暗号が隠されています。

 

 

武甕槌命=武(もののふ)・甕(かめ)・槌(つち)。

 

 

つまり、武甕槌命はニギハヤヒです。

 

出雲大社 京都分院(筆者撮影)
出雲大社 京都分院(筆者撮影)

 

上は同じく亀岡にある出雲大社京都分院の御祭神・大国主です。大きな袋を背負い、槌を持っておられます。

 

出雲大神宮 春日社(筆者撮影)
出雲大神宮 春日社(筆者撮影)

 

御神体の磐座です。元春日の枚岡神社は筆者の産土の神様。春日の神様がここに祀られていたということは、やはり出雲の神様だったのです。

 

 

出雲の神様は疑うことを知らなかった縄文の神。2681年前(2018年より)に神武天皇が大和平定のために生駒山の神津嶽で天児屋根命さまをお祀りして、天の岩戸開き神事を執り行われたのです。

 

 

このことについてはリュウと春麗の神結び   其の十(いざ!「神武東征」の古戦場へ!続編)④神武天皇編に書きました。

 

 

『日月神示』では天の岩戸開きについて以下のようなことが書かれています。

 

 

『日月神示』

 

磐戸の巻

 

第15帖 

 

 

「天照皇太神宮様

 

(テンショウコウタイジングウサマ)

 

の岩戸開きは、

 

だました、

 

間違ひの岩戸開きぞ、

 

無理にあけた岩戸開きざから、

 

開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、

 

今度はメグリだけのことはせなならんぞ、

 

神にはわけへだて無いのざぞ、

 

今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、

 

まぢりけのない、

 

マコトの神の息吹でひらくのざぞ。

 

まぢりありたら、

 

にごり少しでもありたら、

 

またやり直しせなならんから

 

くどうきつけてゐるのざぞ。

 

何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。」

 

 

 

海の巻

 

第十一帖

 

 

「だました岩戸からは

 

だました神が出て、

 

ウソの世となったのぢゃ、

 

この道理判るであろう、

 

ニセ神やら、

 

だました神やら、

  

次々に五度の岩戸閉めと申してあろが」

 

  

 

梅の巻

 

第十三帖

 

 

「ダマシタ岩戸開きでは

 

ダマシタ神様お出ましざぞ、

 

この道理判らんか、

 

取違ひ禁物ぞ、

 

生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。

 

今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、

 

お日様、

 

マコトの代のマコトのお日様

 

どんなに明るいか見当とれまいがな。」

 

 

 

 

碧玉の巻

 

第十帖

 

 

「次の岩戸しめは

 

天照大神の時ぞ、

 

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

 

ダマシタ岩戸からは

 

ダマシタ神がお出ましぞと

 

知らせてあろう。

 

いよいよとなって

 

マコトの天照大神、

 

天照皇大神、

 

日の大神、 

 

揃ふてお出まし近うなって来たぞ。」

 

 

 

碧玉の巻

 

第二帖

 

 

 岩戸がひらけたから、

 

さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、

 

この行(ぎょう)、

 

中々であるなれど、

 

これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、

 

マコトの神さえ

 

魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、

 

人民がだまされるのも

 

無理ないようなれど、

 

だまされてゐては

 

今度の御用は成就せんぞ。」

 

 

出雲大神宮 春日社(筆者撮影)
出雲大神宮 春日社(筆者撮影)

 

  

五葉の巻

 

第十五帖

 


 「今に大き呼吸(いき)も


出来んことになると

 

知らせてあろうが、

 

その時来たぞ、 

 

岩戸がひらけると言ふことは

 

【半分のところは天界となることぢゃ、

 

天界の半分は地となることぢゃ】、

 

今の肉体、

 

今の想念、

 

今の宗教、

 

今の科学のままでは


岩戸はひらけんぞ、

 

今の肉体のままでは、

 

人民生きては行けんぞ、

 

一度は仮死の状態にして


魂も肉体も、

 

半分のところは入れかえて、

 

ミロクの世の人民として


よみがへらす仕組、

 

心得なされよ、

 

神様でさへ、

 

この事判らん御方あるぞ、

 

大地も転位、

 

天も転位するぞ。」

 

 

 

神様は計画通りに神界と人間界を入れ替えるそうです。これが「ぐれんとひっくり返す」「世の建て直し」ということなのでしょう。人間が神の世界に入るのだから、相当に身魂をみがいていなければ大峠を越せないのです。「洗濯せよ」というのは、自我という汚れをきれいにしなさいということなのです。

  

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

光の白蛇さんが写っています。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮 古墳(筆者撮影)
出雲大神宮 古墳(筆者撮影)

 

元出雲は709年に建てられたということですが、この古墳はもともとここにあったのでしょう。ここから先は進めないようになっていて、中を見ることはできませんでした。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮 磐座(筆者撮影)
出雲大神宮 磐座(筆者撮影)

 

この磐座はパワースポットなのだそうです。推定40トンもあるのだそうです。そんな巨大な磐座をリュウさんは持ち上げていたのですね。もはや人間ではなく神ですね。

 

 

ちなみに、まちがっても磐座の上に乗ってはいけませんよ。人間が磐座の上に乗ったら周波数が違いすぎて死んでしまうからです。(この磐座には目がありますね)

 

出雲大神宮 稲荷社(筆者撮影)
出雲大神宮 稲荷社(筆者撮影)

 

稲荷社ということは、お稲荷さん? 御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。この神様は豊受大神であり、伊勢神宮の外宮の神様です。ということは、瀬織津姫ということになります。

 

 

でも、なぜお稲荷さんなのか、このときはその関連性が分かりませんでした。(このことは後になって知ることになります)

 

出雲大神宮 稲荷社(筆者撮影)
出雲大神宮 稲荷社(筆者撮影)

 

画面中央の木の幹に杖(木)を持ったモーセが写っています。そのとなりに赤い鳥居(お稲荷さん)があります。古代イスラエルは日本と深いつながりがありますから、それを示唆しているのかもしれません。ちなみにモーセの下に魔物、その下に天皇の御霊が写っています。

 

出雲大神宮 御蔭の滝(筆者撮影)
出雲大神宮 御蔭の滝(筆者撮影)

 

御神体は滝です。瀬織津姫だから龍神の神ということですね。

 

出雲大神宮 御蔭の滝(筆者撮影)
出雲大神宮 御蔭の滝(筆者撮影)

 

龍神のましますところには必ず水がある。水の神様は瀬織津姫。持統天皇によって封印されし縄文の女神。この女神が封印されたわけは、弥生のシステムとは正反対のシステムの神だから。

 

 

この女神を封じておかなければ、律令制度(中央集権制)を日本に持ち込むことはできなかったのです。そして現代は律令制の末期なのです。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

道しるべのとおりに歩いていきます。強力な木漏れ日が射していてとても神々しい雰囲気でした。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

「正一位」とは、社格がもっとも高い神社と言う意味なのだそうです。今はその社格は使われていないそうです。ちなみに伏見稲荷神社も正一位だったそうです。(またお稲荷さんが出てきました)ここはかつて正一位の一之宮だったということです。

 

 

「大明神」というのは、祟り神と言う意味なのだそうです。神は祟るから祀ると考えられているようです。祀れば守り神として力を与えてくれるからなのだそうです。動物霊ならともかく、神様は本当に祟るのでしょうか。少々疑問に思います。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

この先の道は国之常立命の御神体山に向かう坂道になっています。参道を歩くことで清められていくような気持ち良さがありました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

夫婦の木さんにもご挨拶。

 

出雲大神宮 上の社(筆者撮影)
出雲大神宮 上の社(筆者撮影)

 

ここはスサノオとクシナダ姫のお社です。

 

 

神話ではいけにえのクシナダ姫をヤマタノオロチから救い出したことになっていますが、スサノオはクシナダ姫を櫛に変化させて自分の髪にさして一体化して、今まで誰も成し遂げられなかったオロチ退治を成功させたのです。

 

 

スサノオはクシナダ姫と一緒になっておはたらきになったということです。陰と陽、男と女の二元性を統合して和す。和国(倭国)をおつくりになられたスサノオは周辺諸国を和合して統治したのでした。

 

 

KAITOが歌う「スサノオ」は雄大なロマンあふれる曲調です。我が国のヒーローの神としての崇敬が込められたこの曲を聞くと、自尊心が高められるような感じがします。

 

 

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

 

 

古事記に最初に歌われているのがこのスサノオの和歌です。このような清々しい情緒にあふれた妻への思いがわずかな文字に込められている。スサノオの研ぎ澄まされた感性に胸を打たれます。

 

 

このような愛深き和歌を詠む神が、なぜ悪者扱いされなければならなかったのか。わたしは神話を知らなかったのにもかかわらず神話で悪の限りを尽くした「悪神スサノオ」にとても違和感があったのです。

 

出雲大神宮 上の社(筆者撮影)
出雲大神宮 上の社(筆者撮影)

 

わたしはなぜ「スサノオはわるくない」と知っていたのかわかりません。日本人の親神さまであるこの神様をどうして悪者扱いされなければならなかったのか、その意図は渡来系によって書かれた神話であるということから理由が推し量られます。

 

 

ねつ造された神話を正統なる我が国の神話にされてきた日本人は、すべての罪穢れを背負ってくださった尊き神様に対して、心からおわび申し上げなければならないことさえ知らずにいたのです。

 

 

日本人のアイデンティティは自分たちの親である日本の神様がもとになっています。スサノオが汚名を着せられてきたということは、わたしたち日本人の自尊心を著しく傷つけられてきたことと同じことなのです。

 

 

ヒーローの神様は人知れずすべての罪穢れを背負われて根の国へ葬られてしまった。このことに気づかない限り、集合無意識レベルで傷つけられた日本人の自尊心を取り戻せないことに気付かされたのです。

 

出雲大神宮 上の社(筆者撮影)
出雲大神宮 上の社(筆者撮影)

 

お社の前に立つと、またもやヒノキの良い香りに包み込まれました。ああ、スサノオ様もわたしを迎えてくださった・・・。感動とともに、一連の記事を書いてきた中で、スサノオ様にきちんとご参拝させていただくのは、今回がはじめてだったと気づかされました。

 

 

わたしはスサノオとクシナダ姫の夫婦神様に心からのおわびと感謝をお伝えしました。

 

 

「日本人は戦争時に極悪非道なことをした」

 

「日本は戦争(悪いこと)をした。だから反省しなければならない」

 

 

と諸外国から攻め立てられ続けるのは、原因(神話)の世界で善の神であるスサノオが悪役にされているから。

 

 

だから原因の世界を正しくするためには、スサノオに着せられた濡れ衣を取り払わなければならない。そう気付かされたのが去年2017年に下の記事を書いたときでした。

 

 

リュウと春麗の神隠し その9 

アンチヒーローこそ真のヒーローだ!

  

 

集合無意識レベルの日本人への意図された神話(プログラム)を書き換えなければ日本は真に立ち直ることができないのです。戦後自虐史観は、ねつ造された神話とともに改めなければなりません。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

不思議なのは、このことに気づいたその後に、日本神界の神々様が神集いされ、和合の御神事にわたし自身が立ち会わさせていただくという体験をさせていただいたことです。その場に歴代天皇の御霊も立ち会われた。

 

 

奇しくもそのご神事の際、スサノオがすべての罪穢れを背負わされて封印されてきたことを知らされたのです。すべての罪穢れというのは大祓詞に出てくる天つ罪、国つ罪のことです。

 

 

「我はこの国でもっとも忌まわれし祟り神じゃ。我に掛けられし呪いを解き放てば、この国の闇も取り払われよう・・・。長かった・・・長かったああああ!!」

 

 

スサノオが天に向かって号泣されたその後、ゲリラ豪雨が降り注いだのでした。

 

 

世間ではアマテラスを困らせた荒ぶる神だと間違った観念でまかり通っているスサノオの汚名を晴らし、本当のことを伝えていかなければならないとあらためて思いました。

 

 

そのことを裏付けるように『日月神示』にはこのように記されています。

 

 

 『日月神示』

 

碧玉の巻

 

第十帖

 

 

「次の岩戸しめは

 

素盞鳴命に総ての罪をきせて

 

ネの国に追ひやった時であるぞ、

 

素盞鳴命は

 

天下(あめがした)を治しめす

 

御役(おんやく)の神であるぞ。

 

天ヶ下(あめがした)は

 

重きもののつもりて固まりたものであるから

 

ツミと見へるのであって、

 

よろづの天の神々が積もる(と言ふ)

 

ツミ(積)をよく理解せずして

 

罪神と誤って了ったので、

 

これが正しく岩戸しめであったぞ、

 

命(みこと)をアラブル神なりと

 

申して伝へてゐるなれど、

 

アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、

 

あばれ廻り、

 

こわし廻る神ではないぞ、

 

アラフル(現生る)神であるぞ、

 

天ヶ下、

 

大国土を守り育て給う神であるぞ、

 

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

 

このことよく理解出来ねば、

 

今度の大峠は越せんぞ。」

 

 

 

 

地つ巻

 

 第十五帖

 

 

「世界中の罪負ひておはします

 

素盞雄の大神様に気附かんか、

 

盲つんぼばかりと申してもあまりでないか。」

 

 

 

至恩の巻

 

第十帖

 


「国常立神も

 

素盞鳴命も

 

大国主命も、

 

総て地(智)にゆかりのある神々は皆、

 

九(光)と十(透)の世界に居られて

 

時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、

 

地は智の神が治(し)らすのぞ

 

と知らしてあろうが、

 

天運 正にめぐり来て、

 

千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、

 

これら地(智)にゆかりのある

 

大神達が現れなされたのであるぞ、

 

これが岩戸ひらきの真相であり、

 

誠を知る鍵であるぞ。」

 

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

スサノオに着せられた汚名を晴らすためには、神話を正しく書き直すことだけでなく、日本人自身が改心し、罪穢れを祓わなければなりません。人は神と一体となってこの世界を良くするために生まれてきたのですから。

 

 

だからなによりもまず自我意識に染まってしまった日本人の心の闇を取り払わなければならないのです。人間の自我意識が対立・分離の世界を現象化し、その結果、自然破壊、戦争を生み出してしまったのですから。

 

 

この世界を良くするためには、日本人がまず目覚めなければなりません。まず日本人が自我という分離意識を統合意識に変換しなければならないのです。

 

 

なぜならば、二元性を統合・和合する特性をもたされた日本人が世界の人々のお手本にならなければならないからです。

 

 

神様も何度も何度もお伝えされています。「身魂磨きを急いでくれ」と。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

ここから先は、国之常立命さまの御神体である磐座群があります。本来ならば社務所でたすきをお借りして入山するのですが、7月初旬の豪雨による災害以来入ることができなくなっていました。

 

 

御神体山につきましては、2018年5月にご参拝した際の写真を貼らせていただきます。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

磐座群

 

この磐座群は、


御神体山「御影山」に鎮まる

 

國常立尊の象徴として

 

皇祖より一万年以前から

 

この地に鎮まっております。

 

伝承によりますと、

 

國常立尊は


丹波国の桑田の宮に

 

天の御舎を立て、

 

ここに御遷りになられたことが


述べられております。

 

今尚、


禁足の地であるこの磐座は、

 

まさに國常立尊の聖蹟であると


伝えられます。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

『日月神示』

 

キの巻

 

 第九帖

 

 

世界一平に泥の海であったのを、

 

つくりかためたのは

 

国常立尊であるぞ、

 

親様を泥の海にお住まひ

 

申さすはもったいないぞ、

 

それで天におのぼりなされたのぞ。

 

岩の神、

 

荒の神、

 

雨の神、

 

風の神、

 

地震の神殿、

 

この神々様、

 

御手伝ひで

 

この世のかため致したのであるぞ、

 

元からの竜体持たれた荒神様でないと

 

今度の御用は出来んのざぞ、

 

世界つくり固めてから

 

臣民つくりたのであるぞ、

 

何も知らずに上に登りて、

 

神を見おろしてゐる様で、

 

何でこの世が治まるものぞ。

 

天と地の御恩といふことが

 

神の国の守護神に

 

判りて居らんから

 

難儀なことが、

 

愈々どうにもならん事になるのぞ、

 

バタバタとなるのぞ。

 

臣民 生れおちたら

 

ウブの御水を火で暖めて

 

ウブ湯をあびせてもらふであろが、

 

其の御水はお土から頂くのざぞ、

 

たき火ともしは皆

 

日の大神様から頂くのざぞ、

 

御水と御火と御土で

 

この世の生きあるもの

 

生きてゐるのざぞ、

 

そんなこと位

 

誰でも知ってゐると申すであろが、

 

其の御恩と云ふ事知るまいがな、

 

一厘の所 分かるまいがな。

 

守護神も曇りてゐるから

 

神々様にも早うこの神示読んで

 

聞かせてやれよ

 

 

出雲大神宮 御影山(筆者撮影)
出雲大神宮 御影山(筆者撮影)

 

『日月神示』

 

五十黙示録

 

星座の巻

 

第四帖



 人民もの言へんことになると

 

申してありたこと近うなったぞ、

 

手も足も出んこと近づいたぞ、

 

神が致すのでない、

 

人民自身で致すこと判りてくるぞ。

 

人民の学や智では

 

何とも判断出来んことになるぞ。

 

右往左往しても、

 

世界中かけ廻っても何もならんぞ、

 

判らんでも

 

判りた顔せねばならん時が来たぞ、

 

ウソの上ぬり御苦労ぞ、

 

人民がいよいよお手上げと言うことに、

 

世界が行き詰りて

 

神のハタラキが現れるのであるぞ、

 

日本人びっくりぢゃ、

 

日本人はいくらでも生み出されるが

 

日本の国は出来まいがな、

 

身体中、

 

黄金(こがね)に光ってゐるのが

 

国常立大神の、

 

ある活動の時の御姿ぞ、

 

白金(しろがね)は

 

豊雲野大神であるぞ、

 

今の科学では判らん。

 

一万年や三万年の

 

人間の地上的学では判らんこと、

 

国常立大神の

 

この世の肉体の影が

 

日本列島であるぞ、

 

判らんことが

 

いよいよ判らんことになったであろうが、

 

元の元の元の神の申すこと

 

よく聞きわけなされよ、

 

神の学でなければ

 

今度の岩戸はひらけんぞ。

 

出雲大神宮 御影山(筆者撮影)
出雲大神宮 御影山(筆者撮影)

 

2016年8月にHPを立ち上げたときには天地開闢(かいびゃく)の神であり、日本の国体そのものである国之常立命さまにご参拝させていただくことになろうとは夢にも思いませんでした。それから2年経った今、この記事を書いている。

 

 

直観のままにHPを書き綴って来て、あらゆるシンクロに導かれてここまで体験させていただきました。生まれ育ったところが神話の舞台であったこと。その神話がねつ造されていたこと。5度の岩戸閉めがあったこと。いろいろ気づかせていただいて導かれたご神事で、国之常立命さまが日本人の堕落ぶりに肚の底からお怒りになっておられることを知らされたのです。

 

 

その後に国之常立命さまの『日月神示』にたどり着いて、探求してきたことへの答えが示されたのでした。

 

➡リュウと春麗の神結び 其の七 すべては神仕組みだった!筆者と神様との答え合わせ

 

出雲大神宮 御影山(筆者撮影)
出雲大神宮 御影山(筆者撮影)

 

出雲の神は国譲りの神。神話時代に大国主の国譲りがあり、ニギハヤヒの国譲りがありました。その次の国譲りは明治維新。明治政府によって最高神は女神にすり替えられたままの天照大御神という位置づけにされたのです。そして日本はアメリカの属国になった。

 

 

本当の最高神は造化三神なのです。なぜならこの三柱神は三柱にして一なる根源神であり法則の神だから。造化三神による宇宙の法則性によって人格神は生み出されたのですから。

 

 

そして明治政府の神社合祀によって数多くの神社がつぶされ、大本教をはじめとする出雲系神道が弾圧されたのです。そして紀元2600年記念式典が大々的に行われ、日本は戦争へと突き進んでいったのでした。

 

  

わたしたち日本人は原因の世界である神の領域を侵されてしまっていたのです。GHQは日本人の霊性を最も恐れたからです。その代表が政教分離と大麻取締法の制定でした。大麻は神の依代であり麻薬ではないのです。このことについては別途書くかもしれません。

 

 

GHQは日本人の霊性を封じ、意識レベルで日本人を支配することに成功したのです。要するに、原因の世界である神々の世界に起きたことが人間界に波及しているというからくりをわからなくしたのです。神と人が分離して物質世界しか見えなくなってしまった日本人をコントロールすることなど容易いのです。

 

出雲大神宮 御影山(筆者撮影)
出雲大神宮 御影山(筆者撮影)

 

国譲りした縄文の神は、いつか必ず日本人が目覚めてこの国を取り戻す日が来ることを待ちに待ってこの国の行く末を見守ってこられたのでしょう。

 

 

五度の岩戸閉めが繰り返され、さらに戦後の日本は欧米化によりことごとく秩序が乱されました。それでも神様は日本と日本人を守り続けてくださったのです。

 

 

「もう待てぬ。神はもう、十分に待った」

 

 

という神様の御意思に同調するように、2018年になってから地球レベルの変化が加速度をつけて顕著になってきました。

 

 

すべての人々に説き導いている時間はもうない。

 

 

だから、気付いた人だけでもいい。その方々の意思で自ら気づかれ、自ら意識変換され実践行動されることを信じるしかないのだと思います。

 

 

難しいことは何もありません。神様の裾につかまって何が何でも次の次元に上がらせていただきたい思いがあれば、必ず意識変換できるはず。

 

 

ただただ神に同調すればよい。

 

 

ただし神は愛そのもの。自我なき愛それ自体。自我は愛に同調できないので、自我のままいては次の次元に進むことができないのです。

 

 

あらゆる執着を手放せばいい。これまで蓄積してきたあらゆる観念、感情を解き放てばいい。自分の中から沸き起こる「こうではないかな?」というメッセージに素直になればいい。小さな子どものようになればいい。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

神様とはすでに自分の中にあることを想い出せばいい。そうすればいつでも神様を感じることができる。自分を産んでくれたのは神様なのだから。

 

 

心の底からあふれ出る熱烈な神へのあこがれ、恋い焦がれるような強烈な思い。四六時中神様とつながっていることを感じていられるとき、神様と一体になっている。そのとき自我はどこかへ消えてしまっているのです。

 

 

そうなれば神様はつねにインスピレーションを与えてくださる。明確な導きを示してくださる。あとは神様の御意思のままにしたがえばいい。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

神は光そのもの。自分の中の闇を打ち消してしまえば、つねに心は光で満たされていて、ネガティブな思いが沸き起こることもない。

 

 

見える世界が違って見える。すべては自分に教えてくれるためにその体験を与えてくださっているのだと感謝してしまう。それがどんなに厳しい状況であろうと、自分の内側が生み出した結果なのだと受け入れることができるのです。進化への道は単純だけれど、難しいと感じるのは自我があるから。

 

出雲大神宮 笑殿社(筆者撮影)
出雲大神宮 笑殿社(筆者撮影)
出雲大神宮 笑殿社(筆者撮影)
出雲大神宮 笑殿社(筆者撮影)

 

事代主(コトシロヌシ)は大国主の息子神です。国譲りの際にはたらかれました。

 

 

少彦名は大国主とともに国造りした神様です。この神様は医薬の神様です。病は氣から。氣は意識エネルギー。意識を変えれば病は治るのです。

 

出雲大神宮 笑殿社(筆者撮影)
出雲大神宮 笑殿社(筆者撮影)

 

『日月神示』

 

月光の巻

 

第三十帖

 


 心のいれかへせよとは

 

新しき神界との

 

霊線をつなぐことぞ。

 

そなたは我が強いから、

 

我の強い霊界との交流が

 

段々と強くなり、

 

我のむしが生れてくるぞ。

 

我の病になって来るぞ。

 

その病は自分では判らんぞ。

 

わけの判らん虫わくぞ。

 

わけの判らん病はやるぞと申してあるが 

 

そのことぞ。

 

肉体の病ばかりでないぞ。

 

心の病はげしくなってゐるから

 

気付けてくれよ。

 

人々にもそのことを知らせて

 

共に栄えてくれよ。

 

この病を治すのは、

 

今日までの教では治らん。

 

病を殺して了ふて、

 

病をなくしようとて

 

病はなくならんぞ。

 

病を浄化しなければならん。

 

悪を殺すと云う教や、

 

やり方ではならんぞ。

 

悪を抱き参らせて下されよ。

  

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

第十代崇神天皇は事実上の初代天皇だといわれています。

 

 

初代天皇とされる神武天皇は神話に登場しますが、2代から9代までの天皇は実在した記録がないため、欠史八代といわれています。

 

 

神話では神武天皇の後に第十代崇神天皇が出てきます。この天皇の代になった頃には、日本中に疫病が流行し、死人で山になっていたほど日本人は死と病に苦しんでいました。

 

 

そこで崇神天皇はこの問題の解決策を神に請いました。崇神天皇の夢に現れたのが大物主(ニギハヤヒ)でした。大物主は「我を三輪山に祀り、直系の子孫にあたるオオタタネコを神主にすればよい」と言いました。

 

 

崇神天皇は大物主の指示通りに三輪山に大物主を祀り、ニギハヤヒの子孫オオタタネコを探して神主にすると、疫病が鎮まったのです。

 

 

この大物主を祀った三輪山が「大神神社(おおみわじんじゃ)」です。大神神社についてはここに書きました。

 

出雲大神宮 崇神天皇社(筆者撮影) 
出雲大神宮 崇神天皇社(筆者撮影) 

 

神武天皇に国譲りをしたニギハヤヒは、十代崇神天皇の代で祟り神(大物主)として三輪山に祀られました。

現在でも天皇はニギハヤヒを祀っています。ニギハヤヒの御神名を隠して。

 

 

歴史をふり返ってみれば、人類は災害、戦乱、疫病、干ばつ、飢饉よる苦しみの連鎖を繰り返してきました。科学が飛躍的に進歩し、暮らしが快適になった現代においては、自我意識が蔓延してしまい、様々な苦しみを生み出しています。

 

 

もう負の連鎖を断ち切る時期が来たのです。人間の自我ではなく、神にゆだねるほかないと悟らねばなりません。神とは大自然です。自然の下に生かされていることに感謝して謙虚になれば1万年以上続いた縄文の世界が再び実現できるのです。

 

出雲大神宮 崇神天皇社(筆者撮影)
出雲大神宮 崇神天皇社(筆者撮影)

 

平成は31年4月30日で終えることが決定しています。日本は神武から平成まで2679年続いたことになるのです。

 

 

わたしは思う。日本が戦う術を持たない縄文のままでいたら、遅かれ早かれ、周辺諸国に侵略されて日本がなくなっていたかもしれないと。

 

 

たとえナガスネヒコが神武を滅ぼしたとしても、新たな侵略者がやってきたに違いない。そして侵略者を滅ぼした因果が巡っていつか子孫も滅ぼされてしまっただろう。

 

 

戦乱諸国に囲まれていながらも、日本が滅ぶことなく続いて来れたのは神武東征時のスメラミコトの交代があったからではないかと。

 

 

世界の列強諸国が日本を狙い、欲しがったのです。それほど尊い神の国を一度、人間の手に託して周辺諸国の文化を取り込んで和洋中折衷国家となる必要があったのではないかと。

 

 

あらゆる闇を取り込みつつも、光を失わずにこれたから今でも日本が続いている。それは世界の王侯貴族さえ従える天皇の存在があったからこそ。

 

 

ヒエラルキーの頂点に位置する天皇の役目は世界の均衡を保つこと。天皇がこの国にいなければ、この国はとうに大陸の一部に取り込まれていただろうし、世界の均衡はとうに崩れていたはず。

 

出雲大神宮 崇神天皇社(筆者撮影)
出雲大神宮 崇神天皇社(筆者撮影)

 

天皇が諸外国に戦争責任を何度も謝罪させられてきたのは、世界の頂点に位置する日本を貶める行為に等しいということに気づく必要があります。

 

 

なぜならば、天皇の一挙手一投足は人間界だけでなく4次元以上の想念に常に見られているからです。

 

 

天皇が諸外国に謝罪(屈服)するという行為は、幽界にいる悪神や魔物が日本に手を出すことを許すという意味合いがあるのです。

 

 

想念の世界が原因の世界ですから、このことは大変な問題なのです。天皇の立場が貶められているのだから、世界の秩序が乱れることにつながるのです。

 

 

天皇は世界の均衡を保つ存在であり、日本神界の最高祭祀を担う立場。天皇が頭を下げるということは、世界で最も古くて善なる日本神界が悪神を制御することができなくなる。これが世界の大混乱の原因のひとつなのかもしれないと気づかされました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

わたしはなぜ、世界の頂点に君臨する天皇が世界の支配層に取り込まれてしまったのだろうという疑問をもっていました。

 

 

日本神界の最高司祭であるはずの天皇に嫁いだ美智子皇后はGHQが送り込んだキリスト教信者だし、雅子さまは創価学会(仏教)と深いつながりがある。今の天皇家はイギリスに留学することがめずらしくない。

 

 

けれど、これも仕組みなのかもしれない。日月神示にはこうあります。

 

 

 『日月神示』

 

下つ巻

 

第16帖

 

 

「イシヤの仕組にかかりて、

 

まだ目さめん臣民ばかり。

 

日本精神と申して

 

仏教の精神や

 

基督教の精神ばかりぞ。

 

今度は神があるか、ないかを、

 

ハッキリと神力みせて

 

イシヤも改心さすのぞ。 」

 

 

 

上つ巻

 

第二十一帖

 

 

「外国がいくら攻めて来るとも、

 

世界の神々がいくら寄せて来るとも、

 

ぎりぎりになりたら

 

神の元の神の神力出し

 

岩戸開いて

 

一つの王で治める神の

 

まことの世に致すのであるから、

 

神は心配ないなれど、

 

ついて来れる臣民少ないから、

 

早う掃除して呉れと申すのぞ」

 

 

 

現代の天皇はフリーメーソン(イシヤ)に取り込まれてしまったように見えるけれども、実はそうではないかもしれない。

 

 

天皇はフリーメーソンをも取り込んで和合する大きな役目を担っておられるのだとしたら・・・? それは一見、日本を明け渡したように見えるけれども、神の世界ではすべて計画どおりの仕組みなのかもしれない。

 

 

この記事を書いていて、深く洞察してみたらそのようなことがわかってきました。天皇はわたしたち一般人の想像をはるかに超えた大きな役目を担っておられるのです。

  

 

だからわたしたちはどんな天皇であっても敬意を払い、感謝しなければならないのです。天皇という特別な格を備えた魂のお役目は一般人には計り知れないご苦労があるのですから。『日月神示』にはこうありました。

 

  

 『日月神示』

 

  第二十八帖 

 

 

 「世界中まるめて

 

神の一つの詞(王)で治めるのぞ。

 

それが神のやり方ぞ」

 

 

わたしは御神事で次の天皇で天皇制は終わることを知らされました。そのときこそ、仕組みの成就のときなのかもしれません。

 

 

今上天皇への敬意と感謝をこめて制作された動画がありましたので貼らせていただきました。どうか謙虚な気持ちでごらんになってください。

 

 

これからは一般の日本人が本当の自分を思い出して、日本(にほん)をもとの神国(ひのもと)に蘇らせるのです。世の中を嘆くのではなくて、まずは自分から変わることからはじめるのです。

 

出雲大神宮 真名井のいずみ(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井のいずみ(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)

 

元出雲には湧水が出ています。真名井の泉です。真名井の泉には石の亀さんがいました。

 

出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)

 

ここの湧水はとても波動の高い水でたくさんの方が水を汲みに来られます。筆者もいただきましたがとても冷たくておいしかったです。

 

 

泉のすぐそばには夫婦岩がありました。

 

出雲大神宮 夫婦岩(筆者撮影)
出雲大神宮 夫婦岩(筆者撮影)

 

『日月神示』

 

月光の巻

 

第三十八帖

 


 はじめの喜びは食物ぞ。

 

次は異性ぞ。

 

何れも大きな驚きであろうがな。

 

これは和すことによって起るのぞ。

 

とけ合ふことによって

 

喜びとなるのぢゃ。

 

よろこびは神ぢゃ。

 

和さねば苦となるぞ。

 

かなしみとなるぞ。

 

先づ自分と自分と和合せよと

 

申してあろうが。

 

そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。

 

ぢゃがこれは外の喜び、

 

肉体のよろこびぞ。

 

元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。

 

その大きな喜びを与へてあるのに、

 

何故 手を出さんのぢゃ。

 

その喜び、

 

おどろきを何故に求めんのぢゃ。

 

何故に神示を食べないのか。

 

見るばかりではミにつかんぞ。

 

よく噛みしめて味はひて

 

喜びとせんのぢゃ。

 

喜びが神であるぞ。

 

次には神との交わりぞ。

 

交流ぞ。

 

和ぞ。

 

そこには且って知らざりし

 

おどろきと大歓喜が生れるぞ。

 

神との結婚による

 

絶対の大歓喜あるのぢゃ。

 

神が霊となり

 

花むことなるのぢゃ。

 

人民は

 

花よめとなるのぢゃ。

 

判るであろうが。

 

この花むこは

 

いくら年を経ても

 

花よめを捨てはせぬ。

 

永遠につづく結びぢゃ。

 

結婚ぢゃ。

 

何ものにも比べることの出来ぬ

 

おどろきぞ。

 

よろこびぞ。

 

花むこどのが

 

手をさしのべてゐるのに、

 

何故に抱かれんのぢゃ。

 

は理屈では判らん。

 

夫婦の交わりは説明出来まいがな。

 

神が判っても交わらねば、

 

神ととけ合はねば

 

真理は判らん。

 

なんとした結構なことかと

 

人民びっくりする仕組ぞ。

 

神と交流し

 

結婚した大歓喜は、

 

死を越えた永遠のものぞ。

 

消えざる火の大歓喜ぞ。

 

これがまことの信仰、

 

神は花嫁を求めて御座るぞ。

 

早う神のふところに

 

抱かれて下されよ。

 

二月一日。

  

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

二の鳥居を出たところに「君が代」の石さんがありました。

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)

 

さざれ石

 

さざれ石とは細かき石の意で

 

長き歳月をかけて互いに寄り集まり

 

大きな巌となったという

 

尊きものである

 

新古今和歌集 古今集に

 

わが君は

 

千代に八千代に

 

さざれ石の巌となりて

 

苔のむすまでと

 

詠はれ国家「君が代」の原典となってゐる 

 

上代からの巌に神霊が宿るという

 

巨石崇拝の信仰と共に天皇の御世を寿ぎ

 

国民一人一人が力を合わせて国づくりを成してゆく

 

修理͡固成という国家建設の理念をも現はしてゐる。

 

 

 

元伊勢籠神社にも同じ石がありました。

 

元伊勢 籠神社(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)

 

大和さざれ石

 

此の石は長い年月をかけ

 

小石が粘土・砂に混じり

 

大きな岩(礫石)をなした誠に

 

目出度い石である

 

 

 

君が代は

 

千代に八千代に

 

さざれ石の巌となりて

 

苔のむすまで

 

 

日本語とヘブライ語は発音も意味も同じものが多くあります。日本と古代イスラエルは祖先を同じくする深いつながりがあるといいます。「君が代」はヘブライ語に訳すとこのような意味になるのだそうです。

 

 

立ち上がり神を讃えよ

 

シオンの民 

 

神に選ばれし民

 

喜べ残された民よ 救われよ

 

神の印(預言)は成就した

 

 全地に語れ

 

 

 

シオンとは日本のことなのだそうです。ユダヤ人は「君が代」を聴いて涙を流すと聞きましたが、このような意味が込められていたのですね。下はとても美しい「君が代」です。わたしははじめてこれを聞いたとき号泣してしまったのでした。

 

 

元出雲と元伊勢に「君が代」が刻み込まれているということは、古い時代の神々の祝詞だということ。

 

 

「君が代」を教えない、歌わなせないのは、縄文の神々を封じておきたいからなのでしょう。日本人に目覚められたら困る。それが弥生の為政者の意図だということなのです。

 

東経135度+1.4度ラインエリア(筆者作成)
東経135度+1.4度ラインエリア(筆者作成)

 

『日月神示』 

 

夜明けの巻

 

第二帖

 


 「神の国は神の肉体ぞと申してあるが、

 

いざとなれば、

 

お土も、草も、木も、

 

何でも人民の食物となる様に

 

出来てゐるのざぞ。

 

何でも肉体となるのざぞ。

 

なるようにせんからならんのざぞ。

 

それで外国の悪神が

 

神の国が慾しくてならんのざ。

 

神の国より広い肥えた国

 

幾らでもあるのに、

 

神の国が欲しいは、

 

誠の元の国、

 

根の国、

 

物のなる国、

 

元の気の元の国、

 

力の元の国、

 

光の国、

 

真中(まなか)の国であるからぞ、

 

何も彼も、

 

神の国に向って

 

集まる様になってゐるのざぞ。

 

神の昔の世は、

 

そうなってゐたのざぞ。

 

磁石も神の国に向く様になるぞ。

 

北よくなるぞ。

 

神の国おろがむ様になるのざぞ。

 

どこからでもおろがめるのざぞ。

 

おのづから頭さがるのざぞ。

 

海の水がシメであるぞ。

 

鳥居であるぞと申してあろうが、

 

シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。

 

人民 知らず知らずに

 

罪犯してゐたのざぞ。

 

毎日、日日(ひにち)

 

お詫(わび)せよと申してあらうが、

 

シメて島国日本としてゐたのざぞ」

       

 

2018年は地震、水害、台風による被害が大変多く、平成最後の夏は最高気温41度超えのとどめの酷暑となりました。日本列島は祓い清めの禊ぎを受け、自然界、人間界ともに浄化の現象化が加速しています。

 

 

 『日月神示』

 

海の巻

 

第十一帖

 

  

タンバはタニハ、

 

田庭とは日の本の国ぞ、

 

世界の事ぞ、

 

タンバとはタンバイチとは

 

世界の中心と云ふ事ぞ、

 

日の本と云ふ事ぞ、

 

キミの国ざぞ、

 

扶桑の国ざぞ、

 

地場ざぞ、

 

判りたか。」

 

 

出雲大神宮(筆者撮影)
出雲大神宮(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)

 

元出雲(丹波)と元伊勢籠神社(丹後)。ともに東経135度+1.4度ラインエリアに位置しています。このエリアが新たな日本文明の拠点となります。ここですべてが和合されるのです。

 

元伊勢 籠神社(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)

 

 

籠神社

 

御祭神 彦火明命

 

相殿 豊受大神 天照大神

 

海神 天水分神

 

神代の昔より奥宮真名井原に豊受大神をお祀りしてきましたが、

 

その御縁故によって崇神天皇の御代に

 

天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、

 

之を吉佐宮と申し、

 

豊受大神と共に四年間お祀り致しました

 

その後天照大神は垂仁天皇の御代に

 

それぞれ伊勢におうつりになりました

 

それに依って當社は元伊勢と云われております

 

両大神がおうつりの後、

 

天孫彦火明命を主祭神とし、

 

社名を籠宮と改め、

 

元伊勢の社、

 

又丹後国一之宮として朝野の崇敬を集めてきました

 

元伊勢 籠神社(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)

 

ここから先は撮影禁止となっていました。

 

 

彦火明命(ヒコホノアカリ)はニギハヤヒ、豊受大神は瀬織津姫。

 

 

この両神が籠神社に祀られていました。

 

 

そして、天照大神和魂社、稲荷社、春日社も籠神社に祀られていたのでした。 

 

 

天照大神の和魂はニギハヤヒ。

 

稲荷は宇迦之御魂神(ウカノミタマ)=豊受大神=伊勢神宮の外宮の神様=瀬織津姫。

 

春日は武甕槌命(タケミカヅチ)=ニギハヤヒ。

 

 

このことはご参拝させていただいたときは、なぜ元伊勢に稲荷社や春日社があるのかわからなかったのです。この記事を書いていてやっと意味がわかったのでした。

 

 

元伊勢にも亀さんがいました。亀は出雲。元伊勢の御祭神が出雲の神であるということです。

 

元伊勢 籠神社(筆者撮影)
元伊勢 籠神社(筆者撮影)

 

元伊勢籠神社の奥の宮である真名井神社へと向かいました。

 

真名井神社(筆者撮影)
真名井神社(筆者撮影)

 

真名井といえば、元出雲にもありました。

 

出雲大神宮 真名井のいずみ(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井のいずみ(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)
出雲大神宮 真名井の泉(筆者撮影)

 

真名井神社には、龍神様が祀られています。真名井神社の御祭神は瀬織津姫ということです。狛犬さんならぬ、狛龍さんがここを守っておられました。

 

真名井神社(筆者撮影)
真名井神社(筆者撮影)
真名井神社(筆者撮影)
真名井神社(筆者撮影)

 

元伊勢籠神社と真名井神社のすぐ横には、天の橋立があります。ここには国産みの神・イザナギがイザナミに会うために天にかけた橋が倒れてこのような姿になったといわれています。

 

天の橋立(筆者撮影)
天の橋立(筆者撮影)

 

ケーブルカーやリフトに乗ると傘松公園に上がることができ、このような絶景を見ることができます。

 

冠島遥拝所(筆者撮影)
冠島遥拝所(筆者撮影)

 

そして、ここでもニギハヤヒと瀬織津姫が祀られていました。

 

冠島遥拝所(筆者撮影)
冠島遥拝所(筆者撮影)

 

伊勢神宮といえば、20年ごとにすべての社殿を造り替える式年遷宮があります。

 

 

式年遷宮は飛鳥時代の天武天皇が制定し、その妻である持統天皇が第一回目の内・外宮式年遷宮を行いました。内宮の御祭神は持統天皇がすり替えた女神のアマテラス、つまりオオヒルメです。

 

 

その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成25年(2013年)の第62回式年遷宮まで、およそ1300年間行われているのです。

 

 

伊勢と出雲はもともと同じだったけれども、持統天皇が皇祖神をすり替えてアマテラスを天皇家の祖神(天津神)にしたことよって分裂させられてしまった。

 

 

そして持統天皇は神の領域まで中央集権制を導入し、絶対的な支配権力を握っていくことになります。

 

 

すり替えた女神のアマテラスを権威の象徴にして、20年という短期間サイクルですべての社殿を遷宮させるために全国の神社や氏子から寄付金の集金システムが構築されてゆきました。

 

 

「正一位」を超えた最上位に君臨する伊勢神宮。その傘下にあるすべての神社は、神職をまっとうすることよりも、莫大な寄付金を確保するために疲弊してゆくことになります。そして明治以降は神社本庁が神社を牛耳って寄付金をピンハネしている・・・。

 

 

もともとの正真正銘の皇祖神である夫婦神を引き裂いてしまってから、この国はすべてが不調和になっていったのです。それはイザナミ・イザナギの夫婦神が別れ別れになってしまったことにも通じます。

 

 

本来、天皇は男性しか務めることができません。

 

 

男は陽、女は陰。

 

男は火、女は水。

 

男は上、女は下。

 

男は神官、女は巫女。

 

 

男女の性質がそれを決定づけていてこのことは不文律なのです。(ヒミコは天皇ではなかったことに気づかされます)

 

 

それが女性が天皇に即位してしまった。逆さまの道理が神界と人間界の乱れの根本の原因だったのです。これは女性差別でもなんでもありません。

 

 

不文律を覆してしまった女帝持統天皇が自然の摂理とは逆のシステムをつくってしまったのです。『日月神示』ではこのように記されています。

 

 

 下つ巻

 

第十三帖 

 


 「逆立ちして歩くこと、

 

なかなか上手になりたれど、

 

そんなこと長う続かんぞ。

 

あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、

 

上にゐては足も苦しからうがな、

 

上下逆様と申してあるが、

 

これでよく分るであろう、

 

足はやはり下の方が気楽ぞ、

 

あたま上でないと

 

逆さに見えて苦しくて

 

逆様ばかりうつるぞ、

 

この道理分りたか。

 

岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、

 

神の姿に返すことぞ。」

 

 

 

磐戸の巻

 

第十帖

 

 

「家の中が治まらんのは

 

女にメグリあるからぞ、

 

このことよく気付けておくぞ、

 

村も国々も同様ぞ。

 

女のメグリはコワイのざぞ。」

 

 

 

春の巻

 

第二十五帖

 

 

「神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。

 

男女の道 正されん限り、

 

世界はちっともよくはならんぞ。」

 

 

 

 

一連の記事を書いていて気づいたことを最後に。

 

 

天照大神の和魂(にぎみたま)はニギハヤヒ=愛。

 

天照大神の荒魂(あらみたま)は瀬織津姫=調和。

 

 

愛は陽子。

 

調和は中性子。

 

(詳細は『波動の法則』参照)

 

https://www.amazon.co.jp/%E6%B3%A2%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E2%80%95-%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8-%E8%B6%B3%E7%AB%8B-%E8%82%B2%E6%9C%97/dp/4931449980/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=
『波動の法則』 足立育朗著

 

原子核である陽子と中性子を分裂させたのが、核分裂反応である原子爆弾であり、原子力発電。

 

 

この文明は引き裂いてはならない神を引き裂いてしまったために、放射性物質を生み出してしまったのです。そしてこれを無毒化することができるのは大麻。大麻草は除染効果が最も高い植物なのです。

 

 

大麻は神宮大麻であり天照大神の依代です。2011年3.11東日本大震災によって大被害をこうむった日本の政治家は、この時でさえ大麻の封印を解除しませんでした。

 

 

津波は瀬織津姫のおはたらき。

 

 

地震を制御する神は武甕槌命(タケミカヅチ)すなわちニギハヤヒ。

 

 

津波は地震によって引き起こされる。ニギハヤヒが地震を抑えなければ、津波が起きて瀬織津姫が世界を一掃する。

 

 

これまで1300年もの間、天皇をはじめとする為政者がニギハヤヒと瀬織津姫を祟り神として祀ってきたのは、このような災害を回避するためだったのかもしれません。

 

 

しかしもともとの皇祖神をすり替えてしまったこと自体が自然に反する行為なのであって、祟りなどではないのです。災害や疫病を神のせいにしている時点で人間の傲慢さが目に余ります。

 

 

縄文の祈りは自然崇拝。ゆえに縄文の神は大自然。自然のしくみに沿って生きることが信仰だったのです。自然の力に人間が逆らえるはずがないのだから。

 

 

原子炉を直撃した東日本大震災は、人工地震ではなく神仕組みだったのかもしれません。このとき、日本はひのもとに立ち返る大きなきっかけだったはずなのです。

 

 

残念ながら日本の表の座に居座った方々は、神におわびも改心もせず、国を守ることよりも自我を守ることを選択した結果、災禍を増大させてしまいました。

 

 

ということは、この国は今後もこの両神のおはたらきによる禊ぎを受けることになるでしょう。

 

 

奇しくも、この記事を書いている最中に四半世紀ぶりの最強レベルの台風21号さんが東経135度+1.4度ラインエリア上を通過してゆきました。筆者の自宅上空を台風の目が通り抜けてゆきました。大阪は近年まれに見る風と水による被害に見舞われました。

 

 

これを災いと見て恐怖を感じるのか、これからはじまる日本文明発祥エリアの祓い清めだったのだと謙虚に受け止めて感謝するのか。わたしたちの意識ひとつで決まると思うのです。

 

日本気象協会 台風21号 2018年9月4日
日本気象協会 台風21号 2018年9月4日

 

ちなみに、同日に茨城県で震度4の地震が発生しました。

 

 

〔地震〕茨城県日立市・高萩市で震度4、津波の心配なし(9/5)

 

 

茨城県には鹿島神宮の要石があります。鹿島神宮は武甕槌命の総本宮です。ここでタケミカヅチが地震を抑え、日本列島を繋ぎとめてくださっています。今回の台風とリンクしての地震。これは「これからが本番です」の合図なのかもしれません。

 

 

ちょうど1年前に来た台風は、初の日本列島縦断コースでした。そのとき書いた記事はここに書きました。

 

 

 

今回も長文にもかかわらず最後までおめどおしいただきまことにありがとうございました。おことわりしておきますが、一連の記事は筆者の体験と気づきでありますので、主義主張ではございません。

 

 

最後に、出雲大神宮で10年ぶりにおみくじをひいてみようと思ったので、中におみくじが内蔵されているうさぎさんの焼き物がひとつだけあったので、それを買いました。

 

 

ごらんになった方にもご利益があるようにプログラムして、そのおみくじを貼らせていただきました。神様はこのようなご褒美をあたえてくださるのですね。感謝です。

 

出雲大神宮 おみくじ(筆者撮影)
出雲大神宮 おみくじ(筆者撮影)